*あからめる=諦める

 

「諦めないで、頑張りなさい!!」

と子供の頃よく言われた。

私は子供の頃から諦めが良い方で、すぐ諦めてしまう。

嫌なことは長続きしないし、

負けたらすぐ辞めるし、

出来ないことは辞めちゃうし、

誰かと競う、という事も極力避けて生きてきた。

結局、負けるのが嫌だから辞めちゃう、っていうだけだったりもするのだけれど…。

諦めずに勉強しろーとか、

諦めずに練習しろーとか親や先生が子供に言う場面もしばしばあって、

諦めずに頑張る、ということが美徳?とされる風潮があるようだ。

けれど実は、「諦める」という言葉の起源は仏教用語であって、

 

「物事の真実を明らかにする(真実をあからめる)。」

 

からきている。

明らかにする(あからめる)=あきらめる=諦める、なのだ。

それがいつの頃からか、その言葉を使う意味が変わってしまったようだ。

物事が上手くいかない時、諦めずに、ただ勉強し続けたり、練習し続け頑張るだけではなく、

「なぜ?」

「どうして?」

「どうやったらいい?」

と考えていくと、物事のシステムみたいなものが見えてくる。

そのシステム(自然界の真理とか性質とか仕組み、心理とか本質の部分)

をどんどん掘り下げ理解していくと、何をどうしたらいいのか分かり、一歩前に進むことが出来る。

物事が上手くいかない事には根本原因があるはずで、そこを理解しないと解決にはたどり着けないものだ。

野菜やお米を育て、発酵食品を仕込んだりしていると、

必ず上手くいかないことが出てきて、壁にぶち当たる。

本質を理解していないから、

どうしたらいいのかが全く分からず、同じ失敗を繰り返す。

そこで諦めずにがむしゃらに頑張るだけではなくて、

野菜やお米の性質を理解したり、

土や水や草、虫など畑を取り巻く環境を理解したり、

菌の種類や性質を理解したり、

日本の気候風土を理解したり、

もしくは私自身の事を理解する必要があったりする。

そうやって、少しずつ物事を明らかにしていく事で、

問題が問題でなくなり、

どうしたらいいのかが分かった時、根本原因が解決され、やっと前に進めるようになる。

もちろん、出来ない事ややりたくない事を無理にする必要はない。

私、という性質や本質を理解して、私はこれは出来ないんだ、と手放せばいい。

そんな「あからめる」ということを、暮らしの中や人生の中で起こる事から、

謎々を解くように遊ぶのが面白くって、

私の人生のテーマの一つだと思っている。

だから、屋号を「あからめ家」としたのだ。

*メタファー

 

そしてその謎々のヒントを、

自然界がメタファーとして現しているように感じている。

メタファーとは、比喩(暗喩)のことで、

暗喩とは、言葉で「〜のようだ」と例えていることを明示せず、

暗示的に表現されているものだ。

それを見たり聞いたりした人が、何を意味するのかを読み取る必要がある。

密教の中の大日如来は「法身説法」と言っていて、森羅万象あらゆるものが説法であり、凡夫は自身の仏性でこの仏の教えを聴かねばならない。

けれど、人間には煩悩があって、その説法が聞こえなくなっている、とあるのだ。

まさに私達現代人の姿だ。

私達は、自然界から遠のく事を選びすぎたのだろう。

その結果、自然の声を聴くことが出来ず、自然界の掟を簡単に無視してしまった。

真実は、隠されているから理解しにくい。

けれどメタファーとして、目の前にちゃんと現されているのだ。

そのメタファーを探し、自分なりの答えを出すのだけれど、

決してこれが最終的な答えではなくて、

「今現在の私が出した答え」、でしかない。

自然界は、私達人間が理解しているよりも、ずっとすっと奥が深い。

理解したように感じても、やっぱりまだ奥があったか…と感じる事がどんどん出てくる。

だから、結局生きている間に本当の答えなんて知る事は出来ないのかもしれない。

 

それはそれでいいのだ。

人間が、生きている間に神になる必要はないのだから。