*否定

両親と全く違う価値観を持つ私は、よく両親から否定された。

否定されると腹が立つもので、私も両親を否定し返した。

しかし、否定とはエネルギーを使うもので、否定する方もされる方もお互いに疲れ果て、苛立ち、気分の悪いものだった。

そして何より、お互い歩み寄ることはなく、変化するどころか、

ますます対立するだけだった。

いつしか私は、価値観が違うと思われる人に対しては、自分の価値観の話をしなくなっていた。

人に理解してもらおうなんて考えなくなっていたし、違う価値観の人と口論したところで疲れるだけだと分かっていたからだ。

しかし、それも寂しいもので、時には少しポロッと本音を吐いては人の反応を伺った。

大概が否定的な反応が返ってきたのでまたそこで口を閉じる、を繰り返した。

淡路島に移ってから、同じような価値観の仲間が現れだした。

初めはそれが嬉しくて、自分の価値観の話をし始めた。

自然農の事、物作りの事、医療のことなどだろうか。

けれど、淡路島のネイティブ達の大半は全く違う価値観を持っていた。

例えば農業にしても、農薬や肥料を撒かないと野菜や米は育たない。

草は綺麗に除草しないといけない。

お前のような自然農とかで野菜が出来るわけがない、と言われた。

否定されることには慣れていたので、そうですよね~と笑ってごまかした。

ネイティブ達の価値観を否定するつもりは毛頭なかった。

慣行農家さんに囲まれながら自然農をするだけでも否定と取られるだろうが、

言葉には出さなかった。

私の祖父母は慣行農家で長年苦労してやってきた人達で、

この人達を子供の頃から尊敬していたし、農薬を使うことも、除草することも当たり前の時代を生きてきて、彼らに選択の余地はなかったはずだ。

世間の消費者は、大きくて甘くて虫食いのない、形の揃った野菜を安くで求め、

安全な物は求めなかった。ただそれに答えてきただけなのだ。

淡路島のネイティブ達はよく、「ここには何もない」と言った。

私たち移住者は、ここには資源がたくさんある、豊かな場所だと捉えていたが、ここで生まれ育った人達には何の価値もないものだった。

けれど、私達と関わることで、移住してきた若者達は、こんな物に魅力を感じるのか、と驚きながらも、私たちの価値観は少しづつネイティブ達に伝染していった。

海に山に竹林、猪、野草などは溢れ返っているし、人々も素晴らしい資源である。

ホントに豊かな島なのだという事を私たちはネイティブに伝えた。

畑や田んぼを始めた頃は、

「薬も肥料もやらんと米なんかできるかー!」とか言っていたじいさんが、

最近では「ウチのこの米は無農薬やで!」と自慢げに言い出したり、

私達の田んぼにウンカという虫が発生した時も

「お前ら薬やるの嫌やったら木酢振れ。臭いで逃げていくわ!」と農薬以外の方法をアドバイスし始めた。

除草剤を使っていた隣の田んぼのおじさんは、私がそれを嫌っていることに自分で気づき、ウチとの境目だけは除草剤を撒くのを止めてくれた。

お野菜をよく分けてくれるおじさんも、「これ、無農薬やからなー」とわざわざ一言付け足してくれる。私達がそういう物を好み、求めていることを知っているのだ。

そんな人が一人、また一人と増えだした。

私がいちいち無農薬の米や野菜が欲しいと言わなくても、ちゃんと伝わっているのだ。

そして、何よりも変化していることに気が付いた。

私達の価値観を受け入れてくれているのだ。

私達は言葉で否定したのではなく、自分の価値観のまま、自分の生活の中で行動しただけで、特別自分のしていることを説明もしていない。

だいたい年齢を重ねると、人は変化を嫌うはずなのに、ここの人達はあっさり変化を受け入れた。凄い人達だ。

私たちはネイティブに変化を求めはしなかったが、しかしそれは確実に伝わり、ネイティブ達は“自ら”変化することを選んだのだ。

相手に代わることを求めていると、頑なに変わることを拒まれていたことだろう。

時間はかかるように感じるけれど、お互いにストレスのない変わり方が良いなと思うし、こんな感じでお互いの距離を縮めながら、自然に変化していくことが結局のところ近道なのだ。