*慣行農法とオーガニックの融合

 

2010年に淡路島に移り住んで、じいちゃんの畑を一緒に耕し始めた。

じいちゃんの畑はゴミでいっぱいだった。

畝の上には絨毯や毛布、土の中からは電池に時計、ホッカイロ、ビン缶、袋に入ったままの化学肥料。なんでも出てきた。

燃やせるものは全て燃やしていた。燃やせないものは埋めていた。

じいちゃんは大正元年生まれの人だから、土に還る物しかない時代を生きてきた。

だから、なんでも土に埋めておけば消えてなくなると思っていたらしい。

プラスチックなどの土に還らない物など分別することは出来なかったのだ。

私は気が狂ったように掃除した。

ゴミというゴミを全て分別し処分した。

燃やせない物も燃やしていたので、ここで野菜を作るのは少々気持ち悪かった。

そんな私を横目に、じいちゃんは大好きな黒飴をポケットから出して食べ、小袋を畑にポイと捨てた。それもいちいち拾って回った。

その翌年、じいちゃんは天に帰った。

ほぼ1世紀を生きたじいちゃんは、亡くなる2か月前まで好きな畑を耕していた。

入院していたじいちゃんは、退院したら自分でサツマイモの苗を植えるから、と私にサツマイモの苗を買わせてはくれなかった。

まだまだ自分でやる気だったのだ。

私と畑の取り合いをして、叔母をあきれさせた。

勝手に自然農とか初めてしまった私に、

「なんであいつは草を放ったらかしにしてるんや!」と怒っていた。

98にもなるじいちゃんに、自然農が云々・・なんて、とてもじゃないけど言えなかった。

慣行農法で苦労してやってきた、じいちゃんの人生を否定できなかったし、畑にゴミを埋めてしまうじいちゃんの事も否定できなかった。

だって、じいちゃんにはそれしか選択肢がなかっただろうから。

私はじいちゃんを尊敬していた。

子供のころから、この人はなんだかわからないけど凄い人だと思っていた。

だけど、ここに住んでみて分かったのは、すごいのはじいちゃんだけではなかったということだった。

淡路島の人達が凄い人達だったのだ。

じいちゃんみたいに凄い人はそこらにゴロゴロいっぱいいた。

農家に定年はないから、80を過ぎて農業を続けているのは当たり前。

若者より目を爛々とさせ、生き生きしているのだ。

淡路のネイティブには脱帽である。

畏怖の念すら抱いてしまうのだった。

昨今、オーガニックだ、有機農法だと価値観の転換が起こる時代となった。

淡路島には、有機農業を始める若者が増え、

慣行農法でやってきたこのネイティブ達と入り混じりながら、少しずつ景色が変化してきた。

はじめは「有機農業なんかで野菜や米はできねえ!」と言い張っていたじいさんも、最近では

「うちの野菜は農薬使ってへんでー」とそれを売り文句にし始めた。

長年慣行農業をやってきたネイティブ達にとって、新しい価値観の有機農業なんて

まったく話にならないことだろうと思いきや、

以外に否定もせず、すんなり新しい価値観を受け入れ始めた。

生産者は消費者のニーズに沿って作物を作っている。

けれど、長年大きくて安くてきれいで美味しい作物を求められ、

その通りに作ってきた農家さん達が、

最近いきなり無農薬の野菜が欲しいと言われて、戸惑わないわけがない。

しかも、今現役の農家さんはそこそこの高齢者たちだ。

それでも、生産者は消費者のニーズの変化に敏感なのだろう。

近所の農家のおっちゃんも、

「最近はインターネットで無農薬の野菜が売れていると言うが、本当か?」

とわざわざ聞きにきた。

いまさら有機農業に変更したくはないが、やっぱり気になるのだろう。

けれどうちの畑を見て、

「お前のような畑では、やっぱり野菜は栽培できない」と言って帰っていったが・・。

それでも消費者が求めていない物を作っても意味はないのだ。

消費者の意識の変化しだいで、このおっちゃんも農業の仕方を考える時が来るだろう。

慣行農業を長年営んできた淡路島のネイティブ達の力は偉大だ。

その人たちが、消費者のニーズに合わせてオーガニックな野菜を栽培し始めたら・・

消費者のニーズによってはそんな未来も遠くはないのかもしれない。

 

今だに畑から出てくるじいちゃんの黒飴の袋を見つけては、そんな妄想を抱くのだった。