*日本の時間 四季・二十四節季・七十二候

 

じぃちゃんばぁちゃんが死んだ時、この村の風景が変わったなぁと感じた。

1世紀近くの間、この村で生き、風景に溶け込んでいた人がいなくなり、代わりに新しい命が生まれ、成長していく。

こうやって時代が変わり、価値観が変わり、景色が変わっていくんだなぁ、と初めて感じた。

と、同時に時間とは生命の事なんだと気付いた。

時間なんて、人間が作った観念で、時間なんてないと思っていたが、

そうではなく、生命の営みそのものが時間なのだ。

お米は5月頃に種を蒔き、芽を出して成長し、

8月に花を咲かせて子供である実を付け、11月頃には枯れていく。

半年という時間を変化しながら生きるのだ。

産まれては死に、変化を繰り返し、留まることがない。

それを時間と認識しているのだ。

いつも、時間がない、時間がないと焦りながら毎日を過ごしている。

「時間がない」ってどーゆうことなんだろう?

人間には平等に時間が与えられているはずなのに。

1日は24時間と決まっていて、私だけが少ないわけではないはずだ。

やりたいことがいっぱいあるから?

スローライフは忙しい?

それもあるだろうけれど、答えはたぶん、「日本には四季があるから」だ。

日本には四季があって、春には春の、夏には夏の仕事があって、

その時にしかできないことがある。うっかりしていると、やらなければいけないことをし損ねる。

四季どころか1月には1月の、2月には2月の、その時期にしか出来ない事があるのだ。

そして、日本には「二十四節季」と言って、ひとつの季節を6つに分け、

そしてさらにひとつの節季を3つに分けた「七十二候」という細かい季節まで存在するのだ。

ひとつの「候」はたったの5日しかない。

日本は南北に長い国なので、地域によっての暦が作られていたらしい。

いつ山菜が芽を出して、いつ米の種を蒔き、いつ虫が活動し出して、

いつカエルが泣き出して、いつ何が旬なのか、

そして、その季節はどのように過ごすのか、

日本人が長い時間をかけて記録した智恵の塊のようなものだ。

今日は5月の20日だから、初夏である立夏、明日から小満という節季に入る。

淡路島では淡竹が旬を向かえ、お米の種籾が芽を出し、

田の準備を始める季節である。

畑では春の草は花が終わり、種を落とし、夏草が芽を出し始める。

暮らしの中では菖蒲湯に入り、柏餅を食べ、アサリを食べ、酢飯を食べて過ごす季節だ。

こないだまで春だと思っていたのに、もう立派な夏である。

忙しいけれど、四季や節季がある日本とは、それだけ沢山の事を経験できる豊かな島だ。

淡路島に移ったはじめの頃は、そんな四季の変化がどのように移り変わるのか分からなかったから、野菜の生長の事や、いつどんな草が生え花を咲かせるのか、

いつ虫が出るのか、自然環境の変化を記録したものだ。

毎年少しずつずれることはあるけれど、

たいてい同じ頃に同じことが起こった。

知れば知るほどやることは増えるのだけれど、

いつ、何が起こるのか、知っているだけで得をするものだ。

そして、その季節に合った過ごし方や、食べ方を変えるだけでも

体は元気になっていく。

 

たった5日で自然界の季節は変化していく。とても貴重な時間であり、

次は何が起こってくるのかとわくわくしながら過ごす。

その季節の変化の中に自分も加わっていることを意識しながら日々の暮らしを営む、

それを「時間」というのだろう。